哲学者・西 周 

哲学者・西 周 

西周(1829~1897)は哲学者、啓蒙思想家、教育家、官僚。

オランダに留学し、法学、カント哲学、経済学、国際法などを学び、明治政府で兵部首・文部省・宮内省などの官僚を歴任。

軍人勅諭・軍人訓戒の起草、軍政の整備とその精神の確立に努め、東京学士会院(現・日本学士院)の会長、貴族院議員も務めた。

 

啓蒙家として西洋哲学の翻訳・紹介等、哲学の基礎を築く。

また、獨逸学協会学校 (現・獨協大学) 初代校長を務め、「そもそも、学をなす道はまず志を立つるにあり」「志を立てて学問に従事すれば、これに次ぐものは勉強にあり」と述べている。

 

本邦において哲学や科学領域で、著名な功績がみられる。

まずphilosophyに対する翻訳語(和製漢語)として「哲学」という言葉を創った。

更に藝術 (芸術)、理性、科學 (科学)、技術、心理学、意識、知識、概念、帰納、演鐸、定義、命題、分解などの基本的学術用語は、彼が考案した訳語だ。

 

西 周は旧幕臣の学者・官僚として時代の流れを読み、維新以後は福沢諭吉も所属する明六社のメンバーとして活動。

社会が激変する中で安易に迎合せず拒絶せず、考え悩み対応した姿がみられた。

清水多古は著書「西周兵馬の権はいずこにありや」の中で、西周を「近代日本最初の哲学者」と評している。

 

参考・引用 Schneller No.110, 2019. Spring