人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬
「人生で幸運だったことのひとつとして亡くなった映画監督のジャン=リュック・ゴダールさんは『高等映画学院(イデック)の入試に落ちたこと』をあげていた。パリにあった著名な学校で多くの逸材を輩出している。『卒業生はあまりに専門家すぎる』。辛辣な言葉はさらに続く。『連中の映画は、生み出される以前にすでに死んでいる』(日経新聞「春秋」2022.9.15)


東京芸大出身の画家の絵には賛否両論がある。多くは素晴らしい作品だろうが、画風が定まらない画家もいる。明らかに国内外の有名画家のオマージュ(?)とわかる作品もある。
盗作疑惑で問題になった画家さえいる。


ゴダール氏は、立派な教育によって得られた知識が邪魔をして、既成概念から飛び出せなくなった結果、作品品が、かえって生き生きとした感動から遠ざかることを語っている。かつて中川一政画伯も同じようなことを言っていた。


話を「入試に落ちたこと」に戻そう。個人的な経験で恐縮だが、私も受験生の時に地元の第一志望の大学への入学が叶わなかった。

浪人して入学した大学医学部は、現役生はいざ知らず、浪人生は誰一人、第一志望で入学したわけではない落ち武者ぞろいだった。

互いに第一志望は聞かないという暗黙のルールがあったので、仲の良い一部の仲間しか第一志望の大学名は知らない。

たまたま、昔も今も医学部の頂点に立つ某大学が志望だった友達が複数いた。

私はといえば、浪人が決まると同時に、東京御茶ノ水にあるS予備校に入り1年間の東京生活を満喫した。

この予備校には前理(午前の理系)というコースがあり、結構難しい入塾試験があり、当時は知る人ぞ知る予備校だった。

おかげで大都会の雰囲気にも物怖じしないようになり、1年間の浪人の末に、首都圏の大学医学部に納まった。
首都圏の計7年間の生活を経験して、名古屋に戻ってからも自信をもって生きていけるようになった。                                 そして何よりも地理的、空間的視野が広がった。

そのまま地元に残っていればつまらない人生だっただろうな、と考えさえする。

今では、(真偽のほどは定かではないが)我が母校は首都圏にある数少ない非私立ということで人気が上昇し、かつての第一志望だった地元の大学より入学が難しくなっているともいわれるようになった。

何が幸いするかわからないものだ。